「野村胡堂文学賞」とは
About Nomura Kodo Prize
多様な顔を持つ野村胡堂のなした膨大な業績の中でも、特に捕物小説の一大傑作『銭形平次捕物控』は、江戸の下町を舞台に“岡っ引き”が活躍する国民文学として大衆を魅了し、戦前・戦後を通じて何度も映画やラジオドラマ、テレビドラマ化された。野村胡堂文学賞は、そうした胡堂の「国民的作家」の一面を顕彰する目的で、日本作家クラブが創立60周年記念事業の一環として2012年に創設した、“時代・歴史小説分野を対象にした”文学・文芸賞である。
日 時
Date and time
- 令和6年11月11日(月)
午後4時
会 場
Location
- 神田明神
住所:東京都千代田区外神田2丁目16-2
第12回 野村胡堂文学賞 受賞者ならびに受賞作品
12th Nomura Kodo Prize winners and winning works
■受 賞 の 言 葉
高崎という町の外れに、私は生れた。
今日はこれから高崎のマチ(街中)に出かけるのだが、マチの連中からしてみたらザ・田舎という所に、私は生れ、十八の時、一度家を出、三十を過ぎてまた戻り、今もそこに住んでいる。
家の傍には田んぼ(季節によって麦畑になる)があり、私が子供の頃は土の用水路にメダカが泳いでいた。古い農家も多い。
夏の夜は何千何万という雨蛙の唄が田から聞こえ、まるで、地響きのようだった。
森があった。ある種の水鳥の繁殖地になっていたらしい。私が子供の頃は、何千羽もの白い水鳥がその森の樹々に白い飾りのように留まっている光景が、我が家の二階のベランダから、畑越しに見えた。それらの白い鳥たちが一斉に飛び立つ姿を、私は今でも、はっきり覚えている。
そんな私の家の周りに異変が起きはじめた。
森はいつしかほとんど消えてなくなり、あの白い鳥の群れはいつの間にか来なくなっていた。メダカがいた水路も消えた。二、三年ほど前から、かつてうるさいほどだった蛙の斉唱が聞こえなくなった。夜の田んぼに出ても数匹の蛙の声がするばかりなのだ。
田の水温の上昇が関係しているのかもしれない。
だからだろうか?
私の中には昔そこにあったもの、失われてゆくもの、古きもの、そして自然と田園への愛情がある。それらが失われてゆくことへの寂しさがある。
歴史、時代小説は、私にとってそれらかけがえのないものを登場させる格好の舞台なのだ。マチに住み、古きもの、自然、田園と無縁になりつつある読者がいるのなら、その人が、私の本をきっかけにして、今私が言ったようなものとの縁を繋いでくれたら、私はこの上なく幸せなのである。
もう一つ、歴史、時代小説の魅力を挙げるとするなら、私達は歴史上の物語を通して、過去の人々の失敗、悲劇、苦しみを追体験できるということだろう。それは未来をよりよきものにすることに繋がるかもしれない。
今もこの星では戦争が起きている。一刻も早く終ってほしい。現実の暴力の前で、時に無力にすら思える歴史の伝承、歴史からの物語の創造に、私は意味があると信じたい。
華々しい武将の勲にとどまらない物語にしたいと思い、この小説を書きました。
この度は栄誉ある賞をいただき深く感謝しております。誠にありがとうございました。
第12回 野村胡堂文学賞受賞
武内 涼
■武内 涼(たけうち りょう)氏のプロフィール
1978(昭和53)年、群馬県生れ。早稲田大学第一文学部卒。映画、テレビ番組の制作に携わった後、第17回日本ホラー小説大賞の最終候補作となった原稿を改稿した『忍びの森』で2011(平成23)年にデビュー。
2015年『妖草師』シリーズが徳間文庫大賞を受賞。
2022(令和4)年『阿修羅草紙』で第24回大藪春彦賞受賞。他の著作に『戦都の陰陽師』シリーズ、『忍び道』シリーズ、『謀聖 尼子経久伝』シリーズ、『駒姫―三条河原異聞―』『敗れども負けず』『東遊記』など。最新刊は、『源氏の白旗 落人たちの戦』。
■選 評
新鮮で華のある戦国武将物語
予選委員の大矢博子、末國善己、細谷正充の三氏による投票で、武内涼『厳島』、佐藤雫『白蕾記』、荒山徹『風と雅の帝』の三作が候補作に選ばれたと知ったとき、私は密かに快哉を叫んだ。三作とも今年度の歴史時代小説を代表するにふさわしい秀作だから、いずれが受賞してもおかしくない。これで今回の野村胡堂文学賞は大丈夫だと思ったのである。
会員投票の結果、候補作は『厳島』と『白蕾記』の二作に絞られた。『風と雅の帝』は北朝初代天皇光厳帝の数奇な生涯を描いて「天皇とは何か」を問う力作だが、エンタテインメントとしてはテーマが少し地味すぎたのかもしれない。
『白蕾記』は幕末の蘭学者、緒方洪庵を主人公に、流行病「疱瘡」への飽くなき挑戦を描いた歴史医学小説である。洪庵とその妻八重の微笑ましくも美しい夫婦愛、大村益次郎、橋本左内、福沢諭吉ら若き塾生たちの青春の葛藤や成長が丁寧な文体で綴られていて、時節柄まことにタイムリーで感動的な物語に仕上がっている。ただし、テーマが「牛痘」の普及という一点に集中して語り口がやや単調になり、登場人物がすべて歴史上の人物だけに驚きや意外性に乏しいという恨みがある。無い物ねだりを承知でいえば、物語にもう少し自在な展開がほしかった。
『厳島』は、戦国三大奇襲のひとつ「厳島の戦い」を描いた戦国時代小説である。智将毛利元就の事績は多くの作品に描かれてきたが、その対抗に陶晴賢の忠臣弘中隆兼を配して、知略VS忠義の対決構図にしたところが作者の手柄で、これまでになく新鮮な戦国武将物語に仕上がった。ことに弘中隆兼というほとんど無名の武将に光をあて、読者が感情移入しやすいヒューマンな性格を与えた手腕はあっぱれとしかいいようがない。
ご存じのように、野村胡堂はエンタテインメント時代小説の華ともいうべき捕物帖の名手だった。その名を冠した文学賞にふさわしい華のある受賞作を得たことを、当会の会員とともに慶びたい。
野村胡堂文学賞 選考委員長
郷原 宏
■選 評
歴史の転換点を描ききった名作
日本三大奇襲に数えられる厳島の戦い。日本史のひとつの転換点とさえ言えるこの戦いに真正面から取り組んだ長編小説はなかった。困難な課題に挑戦した作者に、まず敬意を表したい。読み進めると、人物造形の巧みさに感じ入る。陶晴賢に反乱を疑われている毛利元就は、一挙に形勢の逆転を図るべく長い時間を掛けて数々の策を弄する。元就は権謀術数の武将ではなく、小国の主として冷静で慎重に毛利家の存続を図る智将として描かれる。対する陶晴賢は、主君の大内義隆を弑逆したために奸臣とされることが多い。だが、彼は猛将であるばかりか、兵を大切に扱う武将として造形される。さらに大内=陶側の主人公として位置づけらる大内家重臣の弘中隆兼(隆包)は、領民と兵を慈しむ清廉潔白で知勇ともにすぐれた武将として活写される。元就の三人の男子である毛利隆元、吉川元春、小早川隆景も個性豊かだ。特筆すべきは女性たちの造形である。元就の養母でありその人生観に大きな影響を与えた大方殿(杉大方)、元就の亡妻妙玖、元春の妻の新庄局、隆景の妻である綾姫(問田大方)、弘中隆兼の妻こんなど、登場する武将の家族たちは血肉ある人間として描かれる。とくに正室は戦国の大小名の家を支える重要な存在である。平板な叙述ですませる武将物と根本的な違いを感ずる。また、家臣や領民たちの細かいエピソードの巧みさが、この時代の空気を生き生きと感じさせる。さらに、毛利氏と陶氏の双方の数々の調略や陰謀もしっかりと描写される。こうしたていねいな叙述の積み重ねが、毛利氏と陶氏が厳島の戦いに向かう日々と、戦いの結末への説得力ある裏づけを生み出している。加えて、作中の至るところで触れられる季節や自然の描写もすぐれている。
物語は合戦当日を迎える。この日の戦いの迫力は見事の一語に尽きる。数倍の軍勢をわずか一日で完膚なきまでに叩きのめした合戦が、リアリティ抜群に描かれる。薄氷を踏むような慎重さで戦いの火蓋を切る毛利元就と、元就の戦法を予想して警戒を怠らない弘中隆兼。だが、元就は勝利し、隆兼は敗れた。なぜ、陶勢は多数の兵力を厳島で失い、隆兼も晴賢も首を取られて大内氏は滅びる運命となったのか。血潮とともに描き出されるその行く立てには、うならざるを得ない。自信をもって本作を受賞作としたい。
選考委員 第三回野村胡堂文学賞受賞作家
鳴神響一
■担当編集者より
「彼女の矜持を、小説で描きたい」。武内涼さんと初めてお会いしたのは、小社の会議室でした。書下ろし長編を依頼する打ち合わせのはずでしたが、武内さんの心はすでに決まっており、その席で『駒姫――三条河原異聞』のあらすじを熱く語ってくださいました。
運命を受け入れながらも、優しさを失わない駒姫の崇高さ。そして、罪なき者を犠牲にしようとする為政者から愛する者を取り戻すために奮闘する最上家の人々――。武内さんが語るプロットを聞いていただけなのに、怒りと悲しさで、あふれる涙を止めることができませんでした。打ち合わせの席で号泣したのは、後にも先にも一度きりです。
その後、『敗れども負けず』、大藪春彦賞を受賞した『阿修羅草紙』、そして今回の『厳島』とご一緒させていただきましたが、武内さんの筆を動かすのは、どの作品においても、勝敗や損得、幸不幸を超越したところに存在する、人間の信念の強さでした。
権力の横暴に立ち向かう、怒りと誇り――。それこそが、どんなに時代が混迷しても失われない唯一のものであることを、武内作品は教えてくれます。
この度のご受賞、誠におめでとうございます。
武内 涼著『厳島』担当編集者
藤本あさみ(ふじもと・あさみ)